どうもです。リクルートスーツ姿の学生さん達をよく見かけるようになった今日この頃…皆さん、いかがお過ごしでしょうか。
もう15年も前になりますが、この占い師めもスーツを着てちゃんと(?)就活をしていた。何だかあの頃を思い出すっぺ~。
占い師の就活を一言で表現すると、そうですね、、
「会社落ちた、SHINE」
これに尽きるっぺ。(今風ですね)
ええ、ええ、もう二度とすたくない。1億円くらい積まれたらすてもいいですが。
そしてそんな中、ちょっとグッとくる就活の記事を発見すてすまった。
「就活やめたい。アイデンティティーが瓦解する」に同情と励ましの声 「就活なんて茶番だからゲームだと思って」
就活解禁から、早くも1か月が経過しようとしている。説明会への参加やESの作成などに追われ、そろそろ疲れも出始める頃だろう。こうした中、3月20日にはてな匿名ダイアリーでは1人の就活生が「就活やめたい」と悩みを口にした。
「アイデンティティーが瓦解する。私は誰だっけ。何が好きで何が嫌いなんだっけ」
投稿者はESの作成に苦労しているようだ。自分の得手不得手は分かってるはずなのに、いざ書こうとすると筆が止まるという。「私には400字語れる趣味さえない。私の人生は800字にも満たない。きっとそういうことだ」と、自己嫌悪に陥っている様子も見える。
(全文はコチラから)
わかるっぺ。わかるっぺよぉ〜。辛いですね。
ええ、ええ、でもでも!ここを乗り越えてこそなのです。ふぁいと~やるしかないっぺ。
「わかるとか、辛いとか、一つ星大学だったらそんなに就活苦労しないでしょう。本当にわかってるんですか」
そんな風に思ったそこのアナタ!ええ、ええ、確かに苦労しない人はしないんですが、する人はするんですよ。
わたすの時はやや氷河期だったんですかね。わかりませんが、自分も周りも濡れ手に粟という感じではなかった。
辛い思い出は結構ありますよ。せっかくなので、恥晒(さら)しますか?
当時、特に行きたい会社もやりたいこともなかったため、一業種一社に絞って知ってる会社を受けてみるか…位の緩さで就活を開始すたJDいけのり。
あ、DJじゃなくて、JD(女子大生)です。
エントリーした会社、全部は覚えてませんが10社程。書類は通るので、次々面接と相成った。
「10社?少なくないですか?貴族ですか?」
と思ったそこのアナタ。我は、100社エントリーとかすてどないすんねん、何だか効率悪いカモ鴨長明と思うタイプだったので、やや氷河期でも取り敢えずは10社で。
何も知らずに面接に行くのも失礼にあたるかと思い、一応業界&会社のこと調べて行くじゃないですか。ええ、ええ、ちょっとはやる気も見せねばですし。
となると100社こなすとか無理です。
エントリーするのも大変ナリ~。ええ、ええ、数撃ちゃ当たる方式は、就活情報サイトを儲けさせ、自らを疲弊させ、人事部の採用グループの人たちの仕事を増やすだけカモ鴨長明。故に少な目でいきましょう。
で、最初の面接の会社は、、、あ、そうか、会社名はぼかすた方がいいですよね。ここからはイニシャルトーク風にしましょうか。
御コメントいただいております。いつもありがとうございます。
●なんだか泣けますね_(:3 」∠)_
●芸が細かい(笑)
履歴書の写真…
●本当に、申し訳ナイス。おっちゃんが 就職活動していた頃は、バブル絶頂期。都市銀行や 証券会社や一部の商社は、大学の公衆電話から人事担当者とお話しすれば内定がその場でもらえました。会社の研究なんてしたこともなかったし。でもね、みんな立派なお偉いさんになっとります。人生、運だぜ、運。
●バブル絶頂期に歯車にならないとか言って受かった某代理店に入らずテレビ局の下請けの契約社員になる辺り私はやはり道を外しっぱなし。敷かれたレールにコンクリ流すように出っ張り続けて49年。あ、なんだかんだめちゃ楽しい人生です。
就職だけが人生じゃない王道と言いながら、永久就職(結婚←古いね!)しちゃうチャッカリ者よ。
●就活も大変かもしれませんが、採用活動も大変です。
これは優秀だと思って採用したら、3日勤めてから無断欠勤の末、退社。
我が社の他に行くところを決めていたのにもかかわらず、給与交渉の材料にするために,給与の高い我が社の面接を受けに来た奴。
自他共に認める,人を見る目がない症候群の私は、これからもずっと、こうしてつらい思いをして行くことでしょう。