【日本語】貪瞋癡(とんじんち)の意味。仏教の三毒に関係があるそうです。

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どうもです。最近ハマっている言葉があります。それが、

 

「貪・瞋・癡」

 

です。一発で読める方いらっしゃいますか。

 

「とん・じん・ち」

 

と読むそうです。

こちら仏教で「三毒」と言われる心の毒の事を指します。

この三毒に心が支配されている限り、人間は本当の意味で「今という瞬間」に満足し、幸せを感じて安らかな気持ちになることは難しい。

この毒があると、心が満たされない…

「貧」以外は、文字が難しくて字面から意味が読み取れなかった自分。わたすと同じような方がいるカモ鴨長明なので簡単に解説を…

 

「貪」とは、貪る心、欲望。

「瞋」とは、怒り。

「癡」とは、愚かさ、迷い。

 

とのことです。(by曹洞宗枡野俊明氏)

なーるほどザ秋の祭典スペシャルって感じですね(古い?)

 

ええ、ええ、自分自身の過去を振り返ってみると、

 

「ああ…やってしまったナァ」

とか、

「何やら恥ずかしいことをすてすまった…」

 

という時は心が三毒、特に一番最初の「貪る心」(あ、読みむさぼるです)に侵されつつ色々選択をしていたような気が。

思ふに、、人というのは多くの場合、1ゲットすると、次は2欲しくなり、2が手に入ると当然3を目指したくなり、3に到達すると、今度は3を一気に10倍の30にできぬものか~

なんて欲しい数もどんどん膨らみ、欲望は尽きることなくモット!モット!と延々、続いていく。

この精神は人類が発展した原動力でもあるため、否定などするつもりはまったくないのですが、、、

ええ、ええ、常に「足るを知る」な精神状態なら、きっと我々は今でも洞窟に住み、木の実やら貝やらを採取して、たまにジビエなんかも食べられるけどぉ〜キノコ食べる時は命がけ、そんな生活をしていることでしょう。。。

でも、できたらこの「モット!モット!な状態」から上手に抜けたいとも思う自分です。

一人の人間が持てる分量を無視して欲張って持ちきれないだけ持つと、

不本意な形でこぼれていったり(詐欺、アホみたいな無駄使い等)、

人間不信やもっと欲しいのにィ〜という苦しい気持ちが生まれて、

生活に色んな歪みができ、最終的には損をするような気がします。

ちなみに私の好きな昔話に「舌切り雀」がありますが、大きい方のつづらを選んだ欲張り老婆さんは最後、アカンことになってすまった。

欲張ってしまうと判断を誤りますし、人との関係も気まずくなる機会増えるカモ鴨長明。

自分、欲張ってないかーと思ったら、、

 

「この辺で十分ありがたい」

 

の精神でいきたいですね。こう思えるって、とってもすあわせなことカモ鴨長明。

 

…それにしても「むさぼる」って読み方、どことなく破壊力ありますよね。

 

ちなみに、こちらで知りました。

「怒らない禅の作法」

 

ほ〜ぉ、ってなるご本です。

以上です。