人間は3種類。市井の人、専門家、見識ある市民|今日の一言

投稿者:

 

いけのり

見識ある市民だと

褒められたのです

 

まずは、ツイッターでのできごとを。

というわけで、そのままコピペさせていただきます。

 

ーーーーーーココカラーーーーーー

藤村正之『考えるヒント』より ワクチン問題は社会問題。

社会学者、シュッツの論考が参考になる『社会理論の研究』

人々は「市井の人」「専門家」「見識ある市民」の3つに分かれる

「市井の人」の知識は、日々生きていく活動にどう関わるのかということが重要。ある手段と手続を踏んで、ある望ましい結果あるいは望ましくない結果が得られることが分かればそれで十分と考える。彼らは自明性の世界に生きている。

例えば、ワクチンの効果を確認し、それを打つことで生活に支障がなくなるとの専門家の意見を自明なもの、常識として受け入れてしまう。
ワクチンの成分などを知る必要はない。

「専門家」の知識は、ある領域に限定されてるが、その範囲では体系的であり、明晰な判断が下される。しかし、いわゆるタコツボ化することもある。

「見識ある市民」は、市井の人と専門家の間。見識ある市民は市井の人のように自明性の世界にとどまっていることが出来ず、知識の根拠に踏み込もうとする。専門家の体系的で明晰だけど、限定された知識に飽き足りなさを感じる。市井の人と専門家の両方に疑問を呈する。

市井の人の特徴が自明性

専門家の特徴が明晰性

見識のある市民の特徴が自己・集団・社会を振り返る自省性

見識があるとは、当面の自分の目的には関わりがないけれども、少なくとも自分に間接的には関わりがあると知っているような領野において、理にかなった形で裏付けられた意見に到達することを意味する。

見識ある市民は、有能な専門家が誰であるかを決定するのは全く自分自身の権限であり、また対立している専門家同士の意見を聴いてから自分の考えを決定するのも完全に自分の権限だと考えている
専門家の意見に右往左往させられることなく、専門家間の妥当性を評価し得る存在として位置付けられる

見識のある市民が常識を疑うことが必要。常識の中には、時代のニーズや動向にマッチしない実態があるかも知れないから。
専門家の考えも疑う必要がある。実は誰かの利害関係が密かに隠されていることがあるから。

市井の人の自明性に甘えず、専門家の明晰性に引きこまらず、見識ある市民として自ら反省的に認識していく自省性という態度が必要。

ーーーーーーココマデーーーーーー

 

すごい納得感です。

諸先輩からは常識ハズレと揶揄されていますが、今後も常識を疑っていきます。

ガーフィンケルさまありがとうございます。

 

以上です。

 

記事一覧へ