「人間物語」(rev31) 

 

今日は、「人間物語」という少し風変わりな講義をするつもりでやってきました。その前に簡単に自己紹介をさせていただきます。これからお話しすることというより、その視点に大いに関係があるからです。
 
自己紹介(アメリカの子供時代、日本の大学生活(「いつの日か2人は恋人」、2024年日英同時出版予定)、米国企業勤務、自立と自由の確立)。
 
さて本題に入ります。今日は、経済学、哲学、社会学、宗教学、考古学、歴史学、宇宙物理学、天文学、分子生物学のいずれでもなく「人間物語」について語ります。しかし、当然のことですが、これらの学問の知識があった方が、今日の講義は、はるかに理解しやすいと思います。ついでにいいますと、パンスペルミア説、ウイルス進化論、ウイルス二元論(LeとLu)、ヒトゲノム内在レトロウイルス、メソポタミア史、生命目的、「近代西洋哲学」の起点と「人間哲学」など従来の視点と異なる考え方を紹介致しますので、先程配布しました今日の講義の補足資料を後日読んでいただき、この講義の理解に役立てていただければ幸いです。
 
人間とは、ホモ・サピエンスのことです。その誕生から滅亡までの物語が「人間物語」です。今日は、時間の都合で「先史時代」を飛ばして、「有史時代」にしぼって話します。「有史時代」は、15000年前位から現在までの、ある程度確実な人間の足跡が確認できる時代のことです。「人間物語」を100ページの本に喩えると、「有史時代」は、最後の数ページに過ぎません。「人間物語」に最終章があるということは、「人間の誕生」は当然のこととして「人間の滅亡(死)」があるということです。これは人間にとって耐えられないことです。個人の死ほど確実なことはありませんが、人は「不死」を幻想し、確実に公平に訪れる自分の死という現実をなかなか直視しません。それと同じことです。「人間の滅亡」の悲劇は、いくら説得力のある科学をもって説明しても、容易に受け入れられるものではありません。今日この教室にいるみなさまも含めて、人間はあらゆる努力を「人間の滅亡」論の否定に向けます。そして、その事実が否定できなくなると、最後は、人間の「叡智」に「希望」を求めます。「神」に救いを求めます。この思考は、特に、「西洋哲学」の伝統ですから欧米に顕著な考えです。欧米人の多くは、人間の存在を「不死」の視点(ソクラテスの死=理性の「不死」以来の伝統。永遠の魂)から見ているからです。「東洋哲学」は、この正反対です。人間の存在を死の視点(輪廻転生。生老病死の四苦の中に生きる)から見ています。ですからみなさんは、死の話に拒否反応はあまり示さないであろうと思って、安心して、これから話を進めていきます。
 
今日は「人間物語」の序章である「人間の誕生」そして生命の誕生(「自然発生説」と「パンスペルミア説」)について語る時間がありません。したがって、ただ一言、人間はウイルス(人間の行動を規定するヒトゲノムに占めるウイルス由来ゲノムが多い)であるという仮定が今日の話の根底にあることを認識していただければいいと思います。さて、「人間の誕生」を語る前にそれに先行する「生命の誕生」を語る必要があります。その為に、パンスペルミア説(宇宙空間には生命が溢れている。パスツールの、Omine vivum ex vivo、生命は生命から生まれる)が説明されなくてはなりません。この理解には、膨大な知識と素直な科学心が要求されます。幸い2018年10月に成城大学で「パンスペルミア説」の講義をしていますので、その時の講義概要を今日配布いたします。後で読んでください。人生観が変わると思います。生命は、宇宙に溢れ、地球生命の起源は宇宙にあることは、20世紀の後半、サー・フレッド・ホイルとチャンドラ・ウイックラマシンゲによって証明されました。ギリシャの哲学者のアリストテレスが、約2400年前に提唱した「自然発生説」をまだ捨てきれない学者がいますが、パスツールの白鳥のフラスコ実験以来、何度も否定されています。詳細は、提示した参考文献にありますから、後で読んで下さい。
 
「人間物語」の「有史時代」を決定しているのは、基本的に、地球の自然現象です。260万年前から続く第4紀氷河時代の中の温暖な間氷期(BC14500年のベーリングアレレード期)がそのはじまりです。その前は、7万年前から最終氷期と言われる寒いベルム氷期という寒冷期が続いていました。BC14500年の突然の温暖化、そしてBC13000年の再寒冷化(ヤンガードリアス期)とBC11500年の再温暖化への転換は、彗星X破片集団ミサイル攻撃(衝突)によるという仮説(Nature Vol.282, November 29, 1979.W.M.ネピエとV.M.クリューブ)がもっとも有力です。彗星X破片集団と地球軌道は、約1500年の周期で遭遇してきたと考えられています。この1500年ごとの地球の異常事象は、地層学・年輪学の観測とも比較的よく一致しているので、地球上の社会的イベントの歴史マップを作成する上で有望な客観的な「科学定規」となります。
 
これにしたがって、「有史時代」をBC14500年から1500年刻みで時代区分すると、BC14500年からBC4000年までは、資料が限られていますので、今後の発見によって大きく変わる可能性があります。BC13000年〜11500年の再寒冷化、BC11500年の再温暖化による農耕牧畜。BC7000年のアナトリアとメソポタミア文明の始まり。BC5500年のメソポタミア、ウバイド朝(青銅)の興隆。これ以降は、まだまだ不明な点(大洪水も含めて)が多いとはいえ、BC4000年の4大文明(メソポタミア:シュメール、エジプト、インダス、中国)の興隆。そして、BC2500年から始まる、シュメール及びインダス文明の崩壊。その後(BC2000年)のミタンニ(鉄)・ヒッタイト・バビロン(アッシリア、カッシート)の興亡という歴史の輪郭が点々とした記録にあります。BC1000年前後のギリシャ暗黒時代はまだわからないことが多い時代ですが、ギリシャ文明の興隆(BC700年)から、多くの史実が存在する為、歴史は急に正確、豊富になります。そして、ギリシャ文明、ローマ文明(ヘレニズム文明)と引き継がれ、AD500年の世界的な異常気象(535-536年)に至ります。次の地球軌道との予定交叉は2035年(前後数十年)という予測です。これを「人間物語」の各時代という表にしてあります。
 
「有史時代」を、前神話時代(BC14500年〜BC4000年)、神話時代(BC4000年〜BC2500/BC2000年)、人間時代(BC2500/BC2000~現在)に分けると「人間物語」(したがって、「人間哲学」)がとてもわかりやすくなります。それは、「西洋哲学」には、いつも想定される「神」の存在が、それがなんであれ、背景にあるからです。それを神と人間の関係性から、この3時代にしたがって、「神」を整理区分し、先程紹介した、「人間物語」の各時代表に含めました。First God(s)、Second Gods、そして、Third Godsという整理区分です。
 
前神話時代は、西洋も東洋も共通の「神」を、人間は、想像(創造)していたと思います。ここではその「神」をFirst God(s)と言います。日本でいう「万の神」です。全ての生命とモノに宿っている「神」です。「山川草木悉皆成仏」を信じ、すべてに神がいると崇めていました。この「万の神」の頂点に仏法でいう「大日如来(盧舎那仏)」のような宇宙と宇宙生命創生の「神」の存在が想定されていたはずです。ですから、「神(First God)」とその子のFirst Godsがそれぞれの自然の存在の中にいると、人間が想像していたのがBC14500年からBC4000年の時代という仮定です。
 
次は、BC4000年からBC2500年/BC2000年の神話時代の「神」です。ここでは、その「神」をSecond Godsと言います。4代文明の国家の統治者は、自らを「神」の託宣を受けたと宣誓しています。いろいろな「神」を設定して、その代理人だから一般の人間とはランクが違うと思わせて人間の管理をした時代です。ですから、本当に実在した「神」なのかどうかは分かりません。何れにせよ、宇宙的な・人間くさい・戦争好きな嫉妬する・強欲な「神」であることは間違いありません。この「神」の解明は、今後の考古学をはじめとする学者が解明することです。
 
最後は、BC2500年/BC2000年以降(人間が「神」から独立した後)の「神(Third Gods)」です。この「神」は、人間あるいは人間の想像(捏造、創造*)の「神」です。Second Godsの束縛から離れ、人間は自分で国も法律も倫理も哲学も「神」までも創造(「人間国家」のインフラ準備)しなくてはならなくなりました。「神(Second Gods)」からの「人間独立宣言」をした時代です。「人間物語」の始まりです。
 
人間の「神(Third Gods)」の創造は、バラモン教と*ユダヤ教(BC1500年〜BC1300年頃)が先行し、その後BC7世紀からゾロアスター教、仏教、ヒンズー教、ジャイナ教、儒教、道教と続き、*キリスト教(0)とイスラム教(AD7世紀)がその後に続きました。
 
「人間独立宣言」後の“人間の人間による人間の為の”国家は、ミタンニ王国から始まった可能性があります。そして、ヒッタイト、「神」の託宣を得て統治していると宣誓するファラオの翳りが見えてきたエジプト、バビロン(アッシリヤ)に対し、ミタンニ王国から、高度な技術(鉄の製錬や馬術など)や「人間国家」の各種インフラストラクチャーが移転された可能性が、最近の考古学の発見から、示唆されています。この時代、各地各国で「人間国家」。のインフラストラクチャーの整備(その一例のハンムラビ法典)が始まっています。
 
「人間哲学」の主流となり、現代の世界を支配する、「近代西洋哲学」は、BC8世紀からギリシャで始まりました。その起点は、ギリシャ時代のヘシオドスとホメーロス(BC8世紀)から始まり、ソクラテス、プラトン、アリストテレス(BC5世紀)へと受け継がれ、ローマ(「ヘレニズム文明」)を経て、ユダヤ教を起点とする「ヘブライ文明」と合体しました。それが「近代西洋哲学」の父といわれるデカルトに先行する哲学です。そして、デカルト、カント、ヘーゲルの“理性”、ショウペンハウエル、ニーチェの“意志”、ハイデッガーの“実存”へと「近代西洋哲学」は発展しました。これが、「神(Second Gods)」から「人間独立宣言」して人間が独自に作ったHow to live指針(哲学)の歴史です。ショウペンハウエルは、人間が「神」を造ったといいましたが、その通りです。この「神」つまりThird Godsは、人間のcreationです。ニーチェは、「神」は、死んだといいました。この「神」もThird Godsのことだと思います。「神(Second Gods)」から人間は「人間独立宣言」した。その時につくられた「神(Third Gods」)は科学に代わった、と。そして「近代西洋哲学」は、一層、人間中心主義と地球中心主義を押し進めた。「近代西洋哲学」の致命的な欠点は、それが「自然支配(自然の征服)」を大ぴらに肯定していることです。同じ「神(First Gods)」から出発した「東洋哲学」は違います。「神(Second Gods)」の影響を受けず、自然の中に生きるという「自然共生」の哲学を根底に持ち続け「神(Third Gods)」を創り上げました。その意味で、日本の縄文時代は、世界でも独自の存在です。それは、「神(First Gods)」を一貫して13000年以上最後まで貫いたからです。
 
さて、科学の事実は、「人間の滅亡」を示しています。彗星X破片集団ミサイル衝突は、原子力発電所が存在し稼働する地球は、今まで経験したことのない、「人間の滅亡」の危険をはらんでいます。原子力発電所を一年稼働すると広島原爆約1000発分の放射能を有する「使用済み核燃料」が産出(10の20乗ベクレル)されます。その「使用済み核燃料」が無防備に地上に貯蔵されています。そこに彗星などの天体が衝突するという事象は、当たり前ですが、地球史上初めてのことです。もちろん、今も昔も、そのようなことは全く想定されていません。しかし天空からの彗星あるいは隕石の衝突は、極めて可能性の高い事象です。最近では、1908年のツングースカ大爆発(ロシア)と2013年のチャリビンスク隕石落下(ロシア)があります。衝突する物体の大きさにもよりますが、落下地点より100〜500kmは壊滅的な被害が及ぶと考えるべきです。この様な天体の落下衝突があれば、広範囲に、無慈悲に、放射能は拡散します。
 
今日は、そのような天変地異がなくとも「人間の滅亡」に至る危険な、否定できない現実を一つあげます。それは、人間による「地球環境汚染」です。これは予測などではなく既に存在する事実です。
 
放射性物質による「地球環境汚染」です。日本人は、不幸なことですが、世界でももっとも放射能汚染に晒された国民です。広島・長崎に対する原爆投下、大気圏核実験による放射性物質降下、第五福竜丸等の被曝、マグロの汚染、「使用済み核燃料」再処理物の投棄、福島第一を含む数々の原発事故などです。今、日本は、2人に1人が癌になるという時代に生きています。これは、いかに日本の「対がん協会」が否定しようとも、原子力時代以前には無かったことです。日本は、福島第一原子力発電所事故時に発令した「原子力緊急事態宣言」を、いまだに解除していません。つまり日本政府は、日本に重大な放射能汚染の危機があることを内外に宣言し、首相権限を強化して、非常事態体制をしいています。だから1mSv/年以上の被ばく地に人間は住んではならないという法に反して、福島県では20mSv/年の土地に住むことを許可しています。これは人殺し政策です。そして、2023年8月23日に、年間22兆ベクレルのトリチウム(半減期12.32年、水素に代わってトリチウムがDNAの塩基結合に置き換わると約12年後にDNAが破壊される)を海洋投棄すると発表し実行しました。これには、海外から多くの非難が寄せられました。しかし外国の原発稼働国は、日本を非難する立場にありません。日本の1000倍を超えるトリチウムの海洋投棄を行っています。日本より酷い海洋投棄です。
 
何が問題か。世界の原発稼働によって産出された、「使用済み核燃料」の投棄は、それ以外に経済的に処理する方法はありません。したがって、予想されたことですが、このように遠慮なく堂々と、10の24乗ベクレル(原発稼働10000回として)をはるかに超える放射性物質を、10の21乗リッターの水をようする海洋に投棄する時代に突入したことが「人間の滅亡」を決定する大問題、turning point、転換点です。これが「人間の滅亡」をほぼ確実にします。これによって、世界の海水に含まれる放射性物質は、10〜20年(予想)以内に、リッター当たり1000ベクレルを超える時代になる現実が到来したということです。この計算等の詳細は、小生著の「原発のミニ知識」に書いてあります。今日配布しますので、後で、勉強して下さい。ちなみにリッター32ベクレルの海水で鮑は死滅するという実験結果を東電が明らかにしています。核種の半減期を考慮しても、食物連鎖の頂点に立つ人間は、数万から数百万倍にも達する生物濃縮によって半減期は相殺されますから、そのような食品を食することによって死にいたります。
 
「人間の滅亡」に対して、原爆を使用する核戦争、中学生でもできる遺伝子組み換えキットの販売や、カルタヘナ議定書(2003年)の形骸化でもはや制御できなくなってしまった遺伝子組み換えの研究と事業推進、目的としない結果が生ずる可能性のあるAIなど、「神」の領域と思える、「人間の滅亡」の要因は多くあります。しかし、「使用済み核燃料」による「地球環境汚染」の方が、現実に存在する、圧倒的に大きな不可逆の問題です。
 
「人間物語」の終章「人間の滅亡」という悲劇を誘導した哲学(思想)の始原は、世界を支配する欧米の哲学である「近代西洋哲学」に違いありません。それは、どのようにして「人間の滅亡」を必然の帰結としたのか。あるいは、哲学(思想)の問題でなく、ヒトゲノムに潜む宿命なのか?ギリシャのデルフォイにあるアポロ神殿(アポロは哲学の神でもある)の入り口には”汝自身を知れ(Nosce te ipsum)”と書かれています。”分をわきまえろ”とも書いてあります。「神」の世界に入る前に、「神」から人間に与える重要なメッセージです。この神はSecond Godsです。したがってこれは、一般に理解されているように人間の生き方(自制を求める)を説いているのではなく、ヒトゲノムの真実(ヒトゲノムの大半はウイルス由来)を知れということではないかと思います。
 
幸か不幸か、COVID-19によって、一般の人にもウイルスの基礎知識が普及しました。ここでは、最小限の知識に限って説明します。ウイルスは、「自己増殖」だけをその「生命目的(「宇宙意志」)」として宇宙空間に存在しています(仮説)。特定の標的細胞に侵入すると、その細胞のエネルギー機構を乗っ取り細胞を死に至らせ、「自己増殖」を果たし、次の標的細胞に向かいます。ヒトゲノムの半分以上(43%以上)はウイルス由来です。もし、人間とウイルスの「生命目的」が同じであると仮定すると、人間にとって地球は、宇宙空間に無限(10^22)に存在する標的細胞(惑星)の一つに過ぎないことになります。この仮説は、今日の講義の本題の一つです。その参考資料として、今日「人間哲学」表を準備しました。その中には、多くの大胆な仮説と今までの科学(自然発生説、ダーウイン進化論仮説、地球は宇宙で唯一の例外的な惑星など)に疑問を呈する最新の厳密科学(パンスペルミア説、Horizontal Gene Transfer: 遺伝子の水平伝達、ウイルス進化論)も含まれます。これらの入門書として書かれた「生命起源の謎」(いけのり著、松井孝典監修、2018年、地涌社)を後で今日の講義の「人間物語」を検証する時に役立つ資料として配布しました。この詳細は、英文ですが、”Our Cosmic Ancestry in the Skies(Chandra Wickramasinghe, Kamala Wickramasinghe, Gensuke Tokoro共著、Bear and Company 2019)” に詳しく書かれています。これは大学に置いておきますので、興味のある方は、担当教授にお問い合わせ下さい。
 
 
「人間の滅亡」という「人間物語」の哲学の始原とその発展(歴史)と最新の厳密科学が示す事実を理解した上で、みなさんは、どのように生きる(これが「人間哲学」です)ことが最善か、それを、自ら悩んで苦しんで考えて欲しいと思います。
 
先程説明した通り、「近代西洋哲学」は、その根底に、人間は、「自然の征服」を徹底的にするという人間中心主義・地球中心主義を持っています。科学は、「自然の征服」のためにあるという考えです。この終着点が「人間の滅亡」です。残念ながら、既に、「人間哲学」を「自然の征服」と考えていない「東洋哲学」に変える余裕はありません。放射能による「地球環境汚染」は不可逆の現実です。手遅れです。Are we happy?に対して、厳密科学は人間にNo!を突きつけています。それは、放射性物質が化学物質でなく原子そのものであり、その処理は人間の能力と経済を完全に超えているからです。繰り返しになりますが、放射性物質による「地球環境汚染」は、既に現実となり、修正も後戻りもできません。「地球環境汚染」は人間の生命維持限界を超えました。この悲劇の結末にあっては、残念ながら、Are you happy? を個人として問うしかありません。ソクラテスが言ったように、「無知の知」は、無知の無知よりましだということです。
 
「人間哲学」は、宇宙生命論の中で人間がはじめて自分の「言葉」で書いた人間の正しい生き方、how to liveの指針です。しかし、その先には、きっと、もっと根源的な人間行動の動機の元(root motive)があるはずです。人間を含む生命の「生命目的」です。それを「宇宙意志(cosmic will)」と仮定します。これはきっとヒトゲノムに内包されています。ヒトゲノムとは、人間のすべての細胞の中にある核内に収納されている46本(父親から23本、母親から23本)の染色体上に書かれた遺伝コードのことです。G、C、A、Tという四つの塩基(文字)で書かれています。60億個の塩基(GCあるいはCGとATあるいはTAの30億対)という膨大なものです。ヒトゲノムは、2003年に完全解読(仮解読は2001年)されましたが、配列が分かったというだけで、その意味はほとんど分かっていません。まだ解読できていない一部の古代文字のようです。ただ、約1.5%はタンパク生成にかかわるものだということは分かっています。驚くべき発見は、ヒトゲノムの約9%はウイルス(そのものがヒトゲノムに入り込んでいる)であるということです。ウイルスとウイルスの断片と思われるものを含めて、実に、ヒトゲノムの43%以上を占めています。最近の報告では70%以上とも言われています。「人間物語」の台本(ヒトゲノム)の多くのページがウイルス関連だとすると、「人間物語」は、「ウイルス物語」に酷似(同じような台本)しているということです。ウイルスはおそらくもっとも生命の根源に近い存在です。食べなくとも何億年でも生きていけます。どこにでも侵入できます。宇宙空間の何処にでも移動(仮説:彗星に乗って)できます。極限状態でも死にません。食べないから死などそもそもありません。つまり永遠を獲得した生命体です。その「生命目的」は、単純明快、一つです。「自己(DNAかRNA)増殖」だけです。「生命目的」の実践は、「宇宙意志(cosmic will)」によります。
 
これほど人間とウイルスが、ゲノムレベルで酷似しているのであれば、人間の「生命目的」は、ウイルスの「生命目的」と同じではないかと疑うべきです。BC2500年〜BC2000年位に、「人間独立」宣言をしてから今日まで、誰も(ギリシャ哲学者も)この疑問を持っていません。デカルトの“cogito ergo sum(我思うゆえに我あり)”は、ここ(Are we not a virus?)に向けられるべきです。デルフィに立つアポロ神殿の“汝自身を知れ”は、ヒトゲノムに内在するウイルスの「宇宙意志」を認識しなさいという、Second Gods「神」の人間に対する、メッセージではないかという新解釈が考えられます。ギリシャ哲学の「ロゴス」は、論理より「言語」のことです。人間は、突然数万年前に、「言語」能力を獲得しました。人間は、その「言語」を使って不都合な事実(ウイルスと同じ「宇宙意志」を持ち、自己増殖だけが「生命目的」である)を隠蔽したいのではないかと疑いたくなります。
 
ところで地球は、この広大無辺の宇宙にあって唯一無二も惑星だと信ずる地球中心主義が完全に間違っていたことが分かりました。1995年のM.. マイヨールによる系外惑星の発見です。天の川銀河だけでも10の22乗個の系外惑星の存在が推定されています。となると、この宇宙で地球は特別な惑星でなく陳腐な存在です。このような惑星を人間が破壊することは、ウイルスが自己増殖のため、善悪を超えて、標的細胞を次から次へと破壊する行為と酷似しているように思えます。
 
最後になりましたが、「人間物語」の“人間とは?”について、画家のポールゴーギャンは、19世紀末に、“我々は何処からきたのか、何者か、何処に行くのか”を問い、タヒチにて、それを描きました。現代科学は、それに答えます。“我々は宇宙から来た。我々はウイルスである。我々は宇宙に帰る。”と。厳密科学を直視できなくなった人間は、「人間の滅亡」から目を背け、放射能に埋もれたうすら汚い地球で、「お金」を新たな「神(Third God)」とし、パンドラの壺の「希望」に縋り、生きています。繰り返しになりますが、人間に「叡智」はありません。自分で捏造した「神(Third Gods)」あるいは、その前に存在したかもしれない「神(First GodsあるいはSecond Gods)」に救いを求めるしかない小さな存在です。
 
 
 
 
2024年1月18日
所源亮