宇宙生命論と唯識論

 

 

“生命は宇宙に溢れています”。もっというと“生命の為に宇宙は存在しています”。これを「パンスペルミア説(汎宇宙生命論とか胚珠広布説)」といいます。「地球」で生命が発生したとする地球を起源とする「自然発生説(化学進化説)」に代わる、「宇宙」を起源とする生命発生説です。「自然発生説」は、アナクシマンドロス(BC611-BC547年)が最初に唱え、その後アリストテレス(BC384-BC322年)によって自然現象の観察から導き出され、今日に至るまで生命論の主流となっている仮説です。1861年ルイ・パスツールは、「白鳥の首フラスコ実験」によって「自然発生説」を科学的に否定し、『生命は生命からしか生まれない』と断言しました。一方の「パンスペルミア説」は、アリスタルコス(BC310-BC230年)が、コペルニクス以前に「地動説」とともに初めて提唱した、生命は宇宙に広く存在しているという仮説です。この支持者は、ウイリアム・トムソン(ケルビン卿)、1903年ノーベル化学賞のスベンテ・アレニウス(リソパンスペルミア説)、1983年ノーベル物理学賞(ファウラー)の元素生成に関する理論解明を行ったサー・フレッド・ホイルとその弟子のチャンドラ・ウイックラマシンゲ(彗星パンスペルミア説)とDNAの構造解明によって1962年ノーベル生理学・医学賞を受賞したフランシス・クリック(意図的パンスペルミア説)などです。日本では、政府の宇宙政策委員会委員長代理、東京大学名誉教授の松井孝典が「パンスペルミア説」を支持しています。科学的には、1981年の「生物モデル」と「星間塵モデル」の赤外線分光スペクトルの一致によって証明されています。


今の「生命」は「炭素系」です。もちろんまだ仮説ですが、この「生命」を作ったのは、「ケイ素生命」と考えられます(意図的パンスペルミア的)。「炭素生命」が誕生した(作られた)のは、10の4万乗(単位は秒でも時間でも年でも大差ない)以上前の事です。この計算根拠は、「宇宙経済学(E=M)入門」(2018年、地涌社、P79-80)に示してあります。アミノ酸と酵素によってタンパク質が生み出される確率によって算出されていますが、超天文学的な期間となり、想像を絶します。我々が観測できるこの宇宙は、約138億年と計算されていますが、秒にすると10の18乗にもなりません。「ケイ素生命」は、我々の感覚から想像すると超頭がいい「生命」のはずです。我々が知っているすべての「生命」の元を作ったのですから。その超頭のいい「ケイ素生命」は、したがって、合理的かつ単純な”生命原則“を「炭素生命」に組み込んだはずです。それは、「自己複製」による”永遠の生命の継続“という決まり(原則)です。これによって、「炭素生命」は「ケイ素生命」にとって、手間のかからないcarefreeな存在となり、一旦作ってしまえば、その後、複雑な操作をしなくとも自動的に複製され、「炭素生命」は永遠に継続される事になります。マネジメント・コストも手間もかからない、最も経済的な管理方法を選択した「ケイ素生命」は、今もどこかあの宇宙の彼方で、我々「炭素生命」の従順な“コピー作業”を暖かく見守っているのかも知れません。


これも仮説ですが、「炭素生命」には、「黒子生命」つまりLu(life preference to the universe)と、「白子生命」つまりLe(life preference to the Earth)があると考えられます。「黒子生命」は、「地球」のような「惑星」のエネルギーを最大限早く消費して、「LuのDNA」を”早く“宇宙空間に放出する事が「生命原則」です。一方の「白子生命」は、「惑星」のエネルギーを最大限ゆっくり消費して、「LeのDNA」を”ゆっくり” 宇宙空間に放出する事が「生命原則」です。これによって、「LuのDNA」と「LeのDNA」のどちらが惑星上に優勢に立っていたとしても、或いは優勢競争の途中であっても、小天体が「惑星(地球)」に衝突して生命が宇宙空間に吹き飛ばされた時、宇宙空間には、「黒子(LuのDNA)生命」と「白子(LeのDNA)生命」がいつも半々存在することになります。


「太陽」のような核融合によって輝いている「恒星」の役割は、「生命」の”栄養源(元素)“の供給です。「超新星爆発」によって”栄養源“は、宇宙空間に放出されます。一方、「地球」のような「恒星」の周りを周回する「惑星」の役割は、「生命(遺伝子:DNA/RNA)」の“増殖”の場の提供です。「惑星」では、大気中であれ、地上であれ、地下であれ、液体の水があれば、「炭素生命」は、液体の水の存在下では容易に化学反応して、DNA/RNAの“累積”と“増殖“をし、それを宇宙空間に“放出”することができます。宇宙を“農業”に例えるのであれば、「惑星」とは「種子」の生産場です。「恒星」は、「肥料とか水」の生産場です。
Homo sapiens sapiens(ヒト)」は、「黒子生命」であろうと思われます。

「Innovation(創造的破壊)」が大好きですから、まるでアリのように飽きることなく、「創造」と「破壊」に邁進しています。“勤勉”とともに「イノベーション」は”美徳“とされています。これは宇宙的観点からは、1921年ノーベル化学賞受賞後に経済学者に転向したフレドリック・ソディーの指摘を待つまでなく、「地球」の唯一の「富」である「太陽光線」を超えた地球備蓄エネルギーの無限消費です。つまり”地球破壊”。「Homo sapiens sapiens以外の地球生命」は「白子生命」です。この区分は、「生命」生存の為に消費する「エネルギー」によります。「黒子生命」は、生存に必要なエネルギー(カロリー)以上を使っています。現在、「Homo sapiens sapiens(ヒト)」は、平均約5万キロカロリー/日/成人を消費しています。これは生存に必要な2千キロカロリーの“25倍”です。「Homo sapiens sapiens(ヒト)以外の地球生命」は、”1倍”、つまり生存に必要なエネルギーしか「エネルギー」を消費しません。


Homo sapiens sapiens(ヒト)」は、地球上では、唯一の「黒子生命」です。「黒子生命」である「人間」は、「ヒト(身体すなわち眼耳鼻舌身の五識)」と「心すなわち(意)識を入れた六識」が合体した「生命」と言われています。この六識にくわえて、「仏法」では、自我意識である七識の「末那識」と究極の識である八識の「阿頼耶識」が加わって、我々が存在しています。この八識が、「黒子DNA」という「種子」であるとしたら。つまり、我々人間が「黒子DNA」生命であるならば、「ケイ素生命」の「宇宙意思」に従って、人間は「惑星」の早期破壊に向かって行く運命にあります。DNA構造の発見者のジェームズ・ワトソンが1989年に勇ましく宣言した通り『かつて私達は、自分たちの運命が星によって決まると考えていた。だが今や、私たちの運命は、遺伝子に委ねられていることがわかったのである』であるならば、地球破壊のシナリオは、遺伝子のなせる災いかもしれません。しかし、その後、遺伝子だけでなく遺伝子以外の要素もDNAの発現を制御していること、そして、それが次世代に伝達される事(後成説)が解明されました。生まれた時に受け継いだDNAと後成的に獲得したDNA発現制御要素の2つです。この後成説に救いがあるのかもしれません。もっともこれは、仏法では、2500年前から語られていることです。


「黒子DNA」に我々が委ねられていて、それが我々の生命活動の根幹を規定しているのであれば、どのような倫理、哲学、宗教、政治を求めても「地球」を守ることはできません。「人間」は1万年を超える長い寄り道をしていますが、発想の大転換は喫緊です。しかしながら、我々の選択は、極めて限られています。何故なら、我々は広大無辺の宇宙空間において、あまりにも小さな小さな極微の存在だから、無力過ぎます。


「パンスペルミア説」は、当然の事ながら、すべての地球生命は、宇宙からやってきた事が前提です。その「生命」に共通するのは、DNAをコード化する4つの「塩基(G,C,A,T)」による遺伝情報です。RNAの場合は、TがUとなります。この遺伝情報は、もともと宇宙空間に浮かぶ「分子雲」に留まっている「ウイルス」の遺伝情報(DNA/RNA)が元となっています。「ウイルス」は、この遺伝情報(種子と思えばいい)を彗星に乗って惑星に運んでいます。すべての「生命」は、この様に宇宙から「ウイルス」が運んできた遺伝情報がランダムに”蓄積“し”分化“した結果、発生したものです。我々は、このウイルス遺伝子の集合物です。そのウイルスグループを、エネルギーの使い方によって、「黒子生命」と「白子生命」との2つのグループにわけることができるというのは勿論仮説です。しかし、どちらも、ウイルス遺伝子の集合物ですから、「生命」としての「基本目的」は変わりません。「ウイルス」の「基本目的」は、「自己複製」だけです。生きる目的が、究極、自分の増殖に設定されているということです。「ヒト」の約半分(46%)がウイルス由来であることは、すでに分子生物学の研究によって明かにされています。我々は「ウイルス」と限りなく近い存在であるという認識を持つことが「人間」に求められます。


この認識、すなわち、「宇宙の生命目的」は、「ウイルス」がその行動で示している「自己複製」。そして、我々は「ウイルス」であるという事。この理解に立ってできることは、以下3つです。


1つ、自分が「黒子生命」であることを識って謙虚に(宇宙ではWe are not alone. Just one of the zillions.ですから)生きることです。いいふるされたことですが、「足るを知る」という生き方の選択です。2つ、どうしても“科学的”に生きたいのであれば、「遺伝子組換え」して「葉緑素」を染色体に組み込み、「植物」の様に、あるいは唯一「光合成」ができる「動物」の海牛(エリシア・クロロテカ)のように、太陽光線に身を任せ、強制的に「富(エネルギー)」の消費を公平にし抑制する事です。また、遺伝子を操る「魔神」に期待し、後天的(後成説:epigenesis)に「黒子生命」から「白子生命」になるよう遺伝子発現制御すること。3つ、「地球」に「小天体」が2035年(1500年周期の彗星Xの破片集団衝突が予想されている)まで待って、その時、宇宙空間に戻る事です。


ポール・ゴーギャンが1897年に南国の楽園タヒチで描いた、「我々は何処から来たのか?我々は何者か?我々は何処に行くのか?」は、既に、現代の科学が「我々は宇宙から来た。我々はウイルスである。我々は宇宙に既に戻っている。」と答えています。それを頑なに拒否している凡人は、「人間中心主義」、「地球中心主義」に固執する「百尺竿頭坐底人」になってしまっていることに気付いていない「人間」です。夜空を見上げて、19世期末のゴーギャンの問いに思いを馳せるのは、「黒子生命」の「人間」だけです。「人間」以外の「白子生命」は、生命維持(代謝)と増殖(複製)に邁進していますから、そんな暇はありません。「自由放任主義」に基づいた「資本主義」に酔いしれていないで、緊切の自己課題として、怜悧に無垢の心で、沈黙の「宇宙の声」に耳を傾ける必要があります。そうしない限り、1000年後地球に飛来した知的宇宙生命によって不名誉な記念碑が建てられることになります。そこには、『人間という地球生命は、この惑星に一瞬の間生存していた。高度に発達した文明を築いたが、その最後に貨幣言語を話し、経済学を発明し、それを盲目的に信じて自滅した』と「母音」の無い言語で印されています。

所 源亮 2020.02.22