“「人」の「考え」を本当に理解したいのなら、彼らの「言葉」 でなく、「行動」に注意を払え” と言ったのは、「近代西洋哲学」の父と言われているルネ・ デカルトです。
デカルトにしたがって、「言葉(何を書いて残したか)」 でなく生物学的なヒトの「行動」に注意を払うと、 ヒトの数を増やしたことが、人類史上最大の「行動」 結果になります。ヒトは、 ホモサピエンスとして30万年程前に出現したと推定されています 。そのヒトが驚異的な増殖を果たし、今や、 80億ほどの個体数になろうとしています。ヒトは、 1万数千年前に農耕牧畜生活に入り個体数を急激に増やし始めたこ とが分かっています。それから数えて、ヒトの個体数は、 約10万倍になっています。この事実から判断すると、「人」 の本当の「考え」は、「自己増殖」にあると結論できます。 デカルトの「人」の定義は、”われ思うゆえにわれあり( cogito ergo sum)”ですが、「言葉」でなく「行動」から見る限り、「人」 は単に「自己増殖」するヒトという生命です。” われ生殖するゆえにわれあり( procreatio ergo sum)”です。
この結論をデカルト的に省察すると、ヒトの「言葉」は、 その事実(「自己増殖」)を隠蔽する為にあるのかもしれません。 ヒトの生命活動の結果が「自己増殖」では、「人」 の自尊心が傷つくことになります。そこでヒトは、「言語」を5〜 7万年に身につけて「自己増殖」だけの生き方でない「人」 の生き方を模索して、真の「生命目的」である「自己増殖」 をカモフラージュしたのではないかと考えられます。
今日は、この視点から、「人」は基本的にウイルスであるという、 大胆なしかし、分子生物学的にありうる仮定に基づいて、 少し話をさせてもらいます。ヒトゲノムは、 2003年に完全解読されました。これは、 コペルニクスの地動説に匹敵する科学史上の大発見です。 この発見によって、ヒトゲノムも他の生命のゲノムと同様、 4つの塩基(DNAはG・C・A・Tの4塩基、RNAはG・C・ A・Uの4塩基)によって書かれていることが判明しました。 全ての生命のゲノムが、僅か5個の塩基( GCAT或いはUという、文字のようなもの) で書かれていることが判明しました。全てに生命が宿るという「( 山川)草木悉皆成仏」が、単なる思想でなく、 その裏に科学的な裏付けが潜んでいたということになります。 その後、ヒトゲノムの約46% がウイルス由来であることが分かりました。 約半分がウイルス起源です。そのようなヒトゲノムにしたがって「 行動」する「人」が、ウイルス的な生き方、すなわち「行動」 をしても何ら不思議ではありません。
「人間哲学」を語る上で、5つの大胆な、 しかしかなり科学的な根拠を示すことができる、仮説を立てます。
第一に、この宇宙にも他の宇宙にも炭素生命は溢れている。 多元宇宙パンスペルミア説です。
第二に、宇宙(多元宇宙)は、炭素生命(DNA) を継続させる為の容器である。 恒星が元素という炭素生命の養分を供給し、 惑星が炭素生命の増殖場を供給している。 これが定常宇宙を形成している。
第三に、炭素生命の生命目的(cosmic will:宇宙意志)は、 4塩基によって書かれるDNAにコード化されている。それ( 宇宙意志)は、たった一つ、生命の継続です。DNA, RNAの複製です。
第四に、ウイルスは、生命にゲノムを運搬(注入) する役割を果たす。ウイルスは、主に彗星に貯蔵される。 ウイルスのDNA或いはRNAの注入によって生命は多様性を実現 する。
第五に、ケイ素創造者によって、 定常宇宙の中に炭素生命を創造して入れたことを否定しない。
以上を前置きにして今日の本題である「人間哲学」を語ります。 厳密科学に基づいた哲学です。宗教ではありません。 救いではありません。哲学とは、時代の中で人間(「人」) がどう生きるのかを考え語るものです。 一部の人間を対象にするのでなく、 世界中の人間が対象でなくてはなりません。 そうでなければ偏った思想になります。「人間哲学」 と一部の人間を対象とする「近代西洋哲学」 との違いがここにあります。もう一つの大きな違いは、「 人間哲学」が汎生命・汎宇宙(パンスペルミア) を前提にしていることです。それに対して、「近代西洋哲学」 は汎人間・汎地球を前提にしています。言いかえると、 人間中心主義・地球中心主義です。「人間哲学」 はグローバルでマクロ・コズミックですが、「近代西洋哲学」 は極めてローカルでミクロ・コズミックです。
それでは、時代の問題から始めます。今、 人間にとってもっとも大きな問題は何か。これが、 先ず問われなくてはなりません。問題が分からなければ、 解答は見つかりません。問題がなければ、 その答えである哲学は不要です。安寧・平和?人口増加? 富の分配?差別?不平等?環境破壊?資源・エネルギーの枯渇? 今の時代の中で、人間にとって最大の問題は何か。 これを特定すれば、その中に生きる人間の、 生きる基柱となる考え方とは何かを考えることができます。 繰り返しになりますが、今生きている時代にあって、 世界中の人間が依拠して生きる思想とは何か。それを問い、考え、 語るのが「人間哲学」です。宗教ではありません。 宗教は救いを求めるものです。「人間哲学」は、 救いではありません。厳密科学が明らかにした生命目的( DNAの継続)を正しく理解した上で築くホモ・ サピエンスの思想です。
人間の存続にとって、最大の問題は、 既に不可逆的に発生してしまった環境汚染です。 環境汚染の最たるものは原発です。 原発稼働によって産出された使用済み核燃料による放射性物質の拡 散です。 原発稼働によって世界中に膨大な量の使用済み核燃料が溜まってい ます。何れそれは、 経済が優先されて投棄者に一番コストのかからない、 海洋投棄されます。その量は、 世界の海水換算でリッター当たり約500ベクレルと推定されます 。水道水の放射性物質の許容量は、通常、 リッター当たり1ベクレルです。したがって、500ベクレルは、 人間のDNAが絶えることのできないレベルの放射性物質汚染です 。結果、人間の正常なDNAの増殖はできなくなる。 人間の正常な生活にとってこれ以上の不都合はありません。 したがって、今の人間にとって最大の問題は、 使用済み核燃料による環境汚染です。 原爆による熱と外部被ばくではありません。 放射性物質の体内吸収による内部被ばくです。
この問題を生み出したのは、「近代西洋哲学」 が進めた科学技術文明です。問うべきことは、 科学技術文明によって人間はより豊かになったのか、 幸せになったのかです。原爆による世界破壊に怯え、 原発による放射性物質環境汚染に耐えようとする世界を、 創り出した科学技術文明は、人間の苦悩を増幅し、延長し、 人間を不幸にしました。これは、「近代西洋哲学」 の必然的な帰結なのか。「近代西洋哲学」は、 人間の安寧を脅かす哲学なのか。 今われわれの前にある世界を見ると、 そうであると結論せざるを得ません。「近代西洋哲学」 が身体と精神を分離して、生死の観念を捨て去り、 人間中心主義を推し進め自然を隷属した終着点です。 われわれの世界は、既に2700年以前にヘシオドスが「 労働と日々」の中で示した「鉄の時代」をさらに悪化させた「 鉛の時代」です。今われわれは、 このことを生命の生命目的の起点(生命起源)に戻って、 問わなくてはなりません。そして、「近代西洋哲学」 のどこに問題があるのかを認識して、それに代わる「人間哲学」 を考えることが、われわれの喫緊の課題です。
「人間哲学」は、先に示した5つの仮定に基づいています。以下、 一つ一つ仮定について説明させていただきます。
先ず、第一の仮定の通り“we are not alone”です。 ここでいうweはヒトでもあり生命でもあります。地球は、 天の川銀河の太陽系に属する小さな小さな惑星です。 天の川銀河の中には無数の太陽系のような恒星系があります。 天の川銀河もこの宇宙に無数ある銀河の一つに過ぎません。 この宇宙も無数にあり多元宇宙を形成していると言われています。 要するに、地球も人間も、この世(カー)とあの世(バー)でも、 極々微の一瞬の存在でしかありません。 この科学事実を無視して自分が一番偉いという幻想に浸りたいのが 人間です。認識が間違っています。 このような幻想を持っているのは、地球上の全生命の中で、 人間だけです。
次に第二の仮定の通り“we are a carbon family”です。この場合のweとは生命のことです。 現存する全ての生命は、炭素結合した有機物化合物です。 生命の定義は、決定されていませんが、「人間哲学」では、 複製増殖するものを生命としています。 この定義によりウイルスは生命です。 生命どころか地球で最も数が多いのがウイルスです。 10の31乗いると推定されています。 ちなみにヒトは10の10乗以内です。ということで、 ウイルスの方がヒトより10の21乗も多くいます。
第三の仮定は、“we live to copy”です。この場合のweは生命です。生命の唯一の「 生命目的(生存のレーゾンデートル)」は、「自己複製」です。 人間以外の生命はいわゆる「言語」を持たないので、その「行動」 が分かりやすく、「自己複製」 のために代謝と複製に集中していることが容易に観察されます。 これは、顕微鏡で細菌の増殖、 電子顕微鏡でウイルスの増殖を見れば明らかです。利他・ 他利などといいますが、生命は究極「自己複製」 に励んでいるだけです。この“「自己複製」せよ” という指示命令が、DNAに書き込まれていると「人間哲学」 では考えます。「人間哲学」では、 このDNAに書き込まれていると思われるゲノムコードのことを「 宇宙意志cosmic will」と呼びます。 分子生物学が普遍学問として登場する以前の哲学は、 数学と物理と化学を科学として、哲学体系を形成しています。「 人間哲学」では、分子生物学を新たな普遍科学に加えて、 哲学体系を構築しています。「近代西洋哲学」では、「宇宙意志」 のことを、デカルト、カント、ヘーゲルは「理性」と言い、 ショウペンハウエル、ニーチェは「意志」といい、 ハイデッガーは「実存」と言いました。 分子生物学の知識なしで語る哲学は難解です。 DNAの存在と役割を想像して科学抜きで「言葉」 で語るわけですから。ここ数十年で、 分子生物学分野の驚くべき進歩によって、 誰にでも理解できるように、 哲学を語ることができるようになりました。 生命の行動と結果とゲノム解析によって、DNAに秘められた「 生命目的」 を理解することができる後一歩のところまで来たからです。「 人間哲学」では、DNAに秘められた「生命目的(宇宙意志)」 は、「自己複製」であると仮定しています。
第四の仮定は、“we are made by viruses”と表現できます。ウイルスは、 宇宙空間では彗星の中に潜んでいると推定されています。 そこがウイルスにとって最も安定した環境を提供してくれるからで す。ウイルスを完全に死滅させることは容易ではありません。 おそらく不可能です。したがって、 生命にとっては過酷な宇宙空間でも、ウイルスは平気です。 ウイルスは、宇宙空間に、ほぼ無限に生きることができます。 ウイルスは代謝機構を持っていません。 侵入する細胞の代謝機構を乗っ取って「自己複製」します。その「 行動」の時まで悠久無限の休みを気ままに楽しんでいられます。 ウイルスは、食事しないわけですから、失業しても平気です。 チャンスが来るまで寝て待っていればいいわけです。 それが最もエネルギー節約的なウイルス的な生き方です。
ウイルスは、 特異的な標的細胞に侵入してその細胞の代謝機構をハイジヤックし て「自己複製」します。ある意味、自分に合った標的細胞に「 自己複製」を依存しています。ここがウイルスの最大の特徴です。 ウイルスは、特異的(選択的)な細胞に侵入しない限り「 自己複製」できません。 どんな細胞でもいいというわけにはいきません。 極めて選り好みが激しく選択的です。ですから、 自分好みの標的細胞が豊富にあるときは、 ウイルスは細胞に対して攻撃的に侵入を果たし、「自己複製」 して、細胞破壊を繰り返します。ウイルスは、 自分好みの細胞がなくなると「自己複製」ができなくなります。 その危険性をウイルスが察知すると、 ウイルスは自分を細胞のゲノムに内在化して「自己複製」 を完全に細胞に依存するすることが知られています。 ウイルスからみると超スローな細胞分裂に「自己複製」 を任せるということです。 そのようなウイルスの痕跡がヒトゲノムの中には約9%あります。 これは過去にヒトを襲い絶滅直前まで追いやったウイルスです。 破片化したウイルスが内在化したものが約34%あります。 このようにウイルスは、あらゆる生命のゲノムにDNA、 RNAを運び込みます。これが生命の多様性を実現しています。 突然変異と選択によるダーウイン進化より、 遥かに強力な生命進化の原動力は、 ウイルスによる進化であると考えられようになってきました。
全ての生命に、共通する「生命目的」がある、というのが「 人間哲学」です。ここでは詳細を省きます(第五仮定)が、 生命ごとに「生命目的」がバラバラにあるのでなく、 全生命に共通する「生命目的」がある。それは、何か。 生命の継続、DNAの「自己複製」 という極めて単純明晰なものだと思います。そしてそれは、 DNAのゲノムに内包されているはずです。「人間哲学」では、 それを「宇宙意志cosmic will」といいます。人間の「生命目的」も、 そのDNAも他の生命と同じと考えています。人間中心主義の「 近代西洋哲学」の立場を取る限り、人間は神から「理性」 を与えられた、或いは「意志」を持った、特別な存在ですから、 これはとても容認できることではありません。真実の解明は、 地動説の時代と同様、最終的に科学がすることになります。 分子生物学と宇宙物理学の進展を見ていると、 それほど先のこととは思えません。その時、はじめて「 近代西洋哲学」が、 ローカルでミクロコズミックな哲学だと認識していたのでは遅いと 思います。
「人間哲学」は、人間の「行動」 は限りなくウイルス的であるという事実を直視せよと言います。 ヒトゲノムは、30億対のGCAT塩基で書かれています。 この意味の解明はこれからの科学者の仕事です。 ヒトゲノムとは学術用語ですが、 これをわかりやすい人間語にすると、そして人間の「行動」 を歴史的に見ると、ヒトゲノムは、「欲と嫉妬」 というタイトルがふさわしい本です。ヒトゲノム、 つまりわれわれの生命テキストのタイトルは、「欲と嫉妬」です。 なんとも恥ずかしので、「言葉」で合理化したくなります。 しかし、そんな隠蔽は、プラトン、デカルト以来の伝統とはいえ、 そんなことはそろそろやめにして、他生命の迷惑も考えて、 いい加減「行動」で「足るを知る」を示してはいかがと「 人間哲学」は説いています。
Gensuke Tokoro
2022.7.7