その人から
自分がモノ扱い
されてるから
我の周りには自称哲学者、文士(作家ですね)が多く、愚痴を吐くにも話が高次元化されます。本日はその一例を公開したいと思います。
X氏という、人徳がほぼほぼない御仁(がしかし、唯一Z氏には優しい)について、同じ境遇にいる数名で愚痴った際、文士の一人から来た書簡です。
———ココカラ———
神を最初に殺したのはニーチェで無くデカルトです。従来の神、 エンジェル、人、動物、植物、もの、というヒエラルキーを、 理性を持った人とモノ(理性なき人も含む)だけにしました。 その思想を引き継いだカントは、神に代わった「理性を持つ人間( エリート西欧人)」を、「人格」として聖化しました。「人格」 を尊重するというのが西洋文明の根底にある「ヒューマニズム」 です。
ヒューマニズムを日本では、一般に人道主義と訳していますが、 humanismですから、 これは正しくは人間主義と訳すものです。人間中心主義ですから、 当然のことながら人間(理性を持った人間) 以外のモノは軽視されます。 西洋文明の理性を持った人間に日本人は入っていません。 言い換えると日本人は西洋文明ではモノという分類に入ります。 ちなみに、人道主義はhumanitarianismです。
「理性を持つ人間(人格)」だけが実在する、 その他は理性を持たない人間(人格のない人間) も含めてモノであり、神も無く生死もない、 といういうのがデカルト哲学を基礎に置く西洋文明です。 カントは、デカルト哲学の上に明確な道徳(「人格」 を尊重しあう「ヒューマニズム」)を確立しました。
そこで浮上するのが、どこで「人格」に線を引くのか、 という問題です。「人格」がない人間は、モノですから尊重( 互いに)する対象になりません。Xの「人格」の線引きは、「 自分とZ」と「それ以外」ということではないでしょうか。 それ故、youもmeも「それ以外」ですから残念ながら「 ヒューマニズム」の対象外です。この道徳は、 差別に対し哲学的な根拠を与えますから、僕に言わせれば( パンスペルミア思想には優位がない)、危険です。
———ココマデ———
なるほど。
X氏には人徳がないと多くの人が感じる理由は、X氏の中でその人々の人格が認められておらず(例に挙げられたZ氏には人格が認められている)、
「人格のない存在」=「モノ」、
すなわち、Z氏以外は「モノ扱い」されているからなんですね。
勉強になります。
うむ。ヒトをモノ扱いするのはやめたいですね。
全部自分に返ってくるばい。
以上です。