どうもです。
とある方とのメッセージの最中、ふと「残念」「無念」の言葉の由来やら(本来の)意味が気になった占い師です。
ええ、ええ、「念が無い」ならそこには何も無いはずなのに、「無念」の方が「残念」よりも「重ための残念な状態」を表現する時に用いられるのは、変だなと思ったのです。
普通に考えたら、「念が残っている」と書く「残念」の方が残念度が高いはずではないですか。
というわけで調べてみたので(暇か)、皆さまにも共有させてください。
無念は元々、仏教用語だそうでっし。
仏教用語としての無念とは、
:何の念慮も持たない状態、執着や汚れた妄念を滅している状態
を表します。つまり、全くもって念が残っていない、念慮を持っていない状態の事であり、念が無いから「無念」なのであります。
中略
現在使われている「無念」の意味が、「悔いが残る」という意味で使われるようになったのは、「残念無念」という言葉が使われるようになったからだと、私は推察しております。
そして、この「残念無念」の「残念」が強調されて、それゆえに後ろにくっついている「無念」も、「悔いが残る」というような意味として使われるようになったのでありましょう。
面白いですね。
本来はやはり字面の通り、「念は無い(悔いなどはない、思う事はない)」
という意味だったのですね。
日常的に使われているニュアンスと字面が伴わないパターン。
納豆が豆腐の形状を指し、豆腐が納豆の形状を指しているのとちょっと似てますね。(あ、似てない?)
貴様、御前、手前が、キサマ、おまえ、てめぇ〜になったのにも似てますかね。(あ、似てない?)
ええ、ええ、せっかくなので本来の意味を知った我々だけでも「無念」を使いこなしていきたいと思った占い師。
あるものに対して意見を求められ、どうでもいい、何とも思わない時には
「無念です」
でいきましょう。
ちょっとイントネーションを変えて発音したらいけそうな気もします。
「興味ありません」「何も感じません、何とも思いません」よりスマートな感じがしますよね。
納豆と豆腐を今更入れ替えて呼ぶのは多分無理でしょうが、文脈次第でこれならイケる気がする…
皆さん、占い師かナマケモノが「無念です」と打って来たら、「興味ないです」ということですので、お察しください。
ちなみに、「ぶねん」と読むと意味が変わり、
「ぶねん」と読む無念とは、
:入念ではない、うかつであること
という意味です。
だそうです。無骨(ぶこつ)みたいなものですね。
無念占い師と言われないようにしたいですね。
以上です。