【読書】「重助菩薩」百姓哲学者による道徳の本に載ってたような温かい短編集。何かと気付きがあり読んでよかった。

重助菩薩(筧次郎 地湧社)

 

どうもです。とある出版社の社長さんからステキングな御本をたくさんいただきますた。

今日はそのうちの一つをご紹介させてくださいまし。こちらでっし。

 

重助菩薩

【内容紹介】
百姓暮らしの豊かさを追究してきた哲学者が、 初めて書き下ろした異色の短編集。
挿し絵のような 筑波山麓で就農してから34年。その間、百姓暮らしが与えてくれた視座と仏教に教えられたものの見方によって、農業のこと、環境のこと、近代の歴史、死生観など、いくつかの文章を発表してきました。そうした文章は、ひたすら論理の正確さだけを求めたため、感情の部分を抑えています。 そのため、本を上梓するたびに短編の物語を書いてきました。 この小説集は、いわば今まで書いてきた本の挿し絵のようなものです。私の本を読んでくださった方に、ぜひともこの小説集も読んでいただきたいと思っています。きっと前の本がいくらか身近になることと思います。 筧 次郎

 

いつも、ビジネス・実用系やキナ臭い社会問題本、ルポ本ばかり読んでいる占い師。

小説・物語カテゴリの本は、年にほんの数冊すか読まない。すかも、自分で買って読むことがまったくナス。ええ、ええ、人からいただいて読みます。

ちょっとスピったことを言うと、本をいただく時というのは、神か仏かわかりませぬが、そういった存在がわざわざ人を介して、わたすめに本という形でメッセージを寄越すているように思われ、故に真剣に読ませていただきます。

 

「重助菩薩」は、重助菩薩、 動物裁判、 ゆうこく、 青い粉、王の愁いの5つの短編からなっているのですが、それぞれに気付きが。

すかも、一話に一個とかではなく複数あり、あああ、今コレ読んでよかった…と感謝です。

 

ネタバレすてすまうものの、ちょっと重助菩薩について書きますと、重助氏(以下重やん)は耳が聞こえず、普段は気楽に畑仕事と牛のお世話などをしている30代中盤の殿方。

彼は家の邪魔者であるものの、その家の菩薩的な存在でもあるという。その理由は重やんの死後、33年たってようやくわかります。

ネタバレしてしまうもののその理由をここで明かしますと、彼の前ではですね、皆ありのままの姿でいられるんです。…いい意味でも悪い意味でも。

お寺の住職以外は、誰もそれに気が付いてはいなかったのですが、重やんは気楽で時に邪魔な「人間」ではなく、「菩薩」領域の存在だったのです。

皆さんの近くに、一緒にいる時に御自身がありのままの自分でいられるような存在がいたら、その人は菩薩です。大事にしましょう。

 

そんでもって、重やんは大雨の災害で命を落としてしまうのですが、亡くなって30年以上経っても家族それぞれの中に実は生きている様子が、なんかいい。

ええ、ええ、ちょっとしたものの考え方とか所作とか、知らず知らず、重やんスピリットが根付いている。

こういう、死んだ後も人々にいい影響をもたらしているって素晴らしいなと思いますた。

 

わたすが死んだ後もこのサイトは残り続けるので、読んだ人に何か1mmでもいい影響があるような感じにすたいですね。

占い師も池紀菩薩を目指すて頑張ろう。えッ?何?菩薩はSiriにSHINE!なんて言わない? イチイチうるさいですね、SHINE!

 

…菩薩領域までにはまだまだ時間と経験が必要ですね。

 

あ、あと、占い師が読んでて色々な意味でゾクゾクすたのは最後の「王の愁い」…

これはすごい。目が覚めます、覚醒します。色々アイディアが湧いてきます。

以上です。