神様について
石ちゃんサロン茶の湯@昼下がり
「いけのりさん、神様っていますよね!」
「おっ、何かいいことあったナリカ!」
~かくかくしかじか (←便利な言い回し)
「やっぱり、御神はおるナリナ~」
「います!今回確信しました」
「おるおる。御神に感謝ナリ」
オカルティ系やスピってる人とでなくても
(スピってる=スピリチュアル入ってる)
このように神様の存在についての会話に
なることがよくあります。そしてそんな時、
上記のように神様の存在について、
力いっぱい肯定反応のいけのりです。
が、実は神様はいるのかいないのかについて
本当のところはどう考えておるかというと
結論、、、占い師、神はいないと思っている。
えええー!アンタいっつも御神の思し召しだの
ご加護だの言っとるやんけ~しかも思いっきり
肯定しといて、アカンヒドい大嘘つきや~と
思われた方、ええ、ええ、その指摘にはきちんと
答えねばと思い、今日のテーマはそれでっす。
いないと思うと言ったものの、わたくすいけのり、
ただの無神論者でも信仰心がないわけでもなく、
楽に明るく楽しく生きていくため、便宜上、
神様はいることにしているという感じです。
どういうことかというと、例えばですね
想定外のこと(いいことも悪いことも)が
起こった時などに神様という存在があると
アレコレ余計なことを考えなくて済むため、
時間とエネルギーが節約できるのだす。
悪いことの例で言うと、そうですね、、
毎日が平穏無事ならそれが一番なのですが
納得いかないことが起こってしまう時って
どうしてもありますよね、悲ピーことやら
ハラワタが煮え繰り返りそうなことやら。
そんな時、神がいることにするとですね、
そうか、、コレはきっと神のいたずらか、
気まぐれか、はたまた思し召しか、、
ご加護なのかも鴨長明。。。了解丸!
おう、何とかするしかナイナリナ~。
てな具合でエイやと前に進んでいけます。
(あ、そんな簡単にはいかないですか)
悪いことが起こった時に何で私がとか
こだわってしまっても何も生まれず、、
苦しさが余計に増すと思いませぬか。
考えてもしょうがないことは考えない。
考えなくてもいいように神がいることにす。
あ、逆に、想定外のいいことがあった時には
そのいいことを運んでくださった特定の人に
感謝してもしきれない感謝の念をですね、
「あ~!神様ありがとうです!」
のように余すことなく発散することができたら
その気持ちは次のもっと大きな感謝の気持ちが
起こるような出来事を呼び寄せる気がするので
天に向かって手を合わせるの、いいと思うナリ。
それにしたって、いないと思っているものを
いることにして過ごすってやっぱりわからん
という方、アレです、ダメ男とわかっていて
別れられない姫君の心理とかに似てるような、
あ、いや、ちょっと違うような気もするな、、
今の例えはなかったことにしてください。。
というわけで、、(どういうわけか)
何やらネガティブなこと、考えても
しょうがないことで頭が堂々巡りして
しまう方はぜっし御一報くださいませ。
この「いないんだけど、いる」
どっちつかずのいけのり神道教で
洗脳しちゃいまっす。(よい洗脳ね)
あ、ちなみに、、先に言っておきますが、
この先、神存在の世紀の大発見があったり、
個人的に瞑想(迷走?)中に何か悟ったりして、
ああ、やっぱりぃ~神は確実におるナリナ~と
考えが大幅に変化する可能性も大。(軽いね!)
その時はその時でまたブログに書きますね。
それまで続いてたらですが。ムフフ。。。